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ニーム・カロリ・ババの物語67 ラクシュミー(富の女神)の祝福

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ニーム・カロリ・ババとお金についてのエピソードです。
 
ニーム・カロリ・ババが1ルピーなどのお金を与えると、そのお金はお守りのような役割を果たし、その人は生涯、お金に困らなかったようです。
 
このようにニーム・カロリ・ババは、お金に特別なエネルギーを込めることができたようです。
 
もちろん、そのようなお金を与えられた人たちは、それだけの徳を持っていたから与えられたのだと思います。
 
お金には、エネルギーが入りやすいので、祝福のエネルギーが入ったお金をもらえるというのは、幸運なことですね。
 
 

「カンチャン(お金)」と言いながら、マハラジはよく指を振りました。

マハラジは何度も何度も、これらの破滅的な魅力や執着について戒めました。

しかし、私たちのなかで彼の言葉に耳を傾けることができたのは、ほんのわずかだけでした。

 

マハラジは、西欧人の帰依者を王様と呼んでいました。

多くの西欧人は経済的に余裕がある背景から来ており、それゆえ、金銭的な充足だけでは苦しみから解放されないことを知っていました。

そして、このような認識は、道を歩むうえでの大きな一歩となったのです。

 

一方、インド人の多くは金銭の苦労と欠乏感しか知らず、彼らにとって世俗的安定が自由と一致しないことを理解するのは、ときに困難なことでした。

しかしながら、物質的な安定を一度も経験したことがないにもかかわらず、そのようなことにまったく関心をもたないように見える帰依者もいました。

彼らは、まるで神のために生まれてきたような人びとでした。

 

お金に関して、マハラジは一人ひとりに異なる対応をしていました。

お金への執着が大きな障害となっていない人に対しては、決してこの話題に触れませんでした。

しかし、それ以外の人には絶えずお金のことを話題にしながら、彼らのなかにパラノイアと貪欲さを引き起こす一方で、おそらく、この特別な執着である厄介なカルマを根こそぎ断ったのです。

 

マハラジは、健康を維持し、家族を養い、共同体への責任を果たすために必要なお金を手もとに残し、あとは貧しい人たちに分けあたえるように、よく勧めていました。

そして、もし私たちがそのようにして神を信頼するならば、すべてはうまくいくということを、つねに想起させたのです。
ときおりマハラジは私たちに一ルピーか二ルピーをくれましたが、それは将来の経済的安定を祝福しているように見えました。

なかには、もらったお金を大切にとっておく人がいましたが、以後、彼らはお金に不自由しませんでした。

また、最初に出会った物乞いにそのルピーをあげる人もいましたが、彼らもまた、お金の必要を感じることがありませんでした。

このような恩恵は「ラクシュミー(富の女神)の祝福」として知られるものです。

マハラジか授けたのも、まさしくそのような祝福だったのでした。

 

一九六九年、私はKKに宛てた手紙のなかで、マハラジにいくらかのお金を送ってもよいかと書きました。
すると、KKからの返信を通じて、マハラジは私に、つぎのようなメッセージを伝えてきました。


「われわれには、お金はまったく必要ない。
インドは金の鳥だ。
われわれは「受けとる」ことではなく、「あたえる」ことを学んでいる。
お金、もしくは富(ヒンディー語で「カンチャン」)と女性(ヒンディー語で「カーミニー」)という二つの執着をもっているかぎり、神へと到達することはできない。
二つの剣を一つの鞘に収めることはできない。
犠牲(トゥヤーガ)を捧げれば捧げるほど、多くを得ることになる……」

 

じゅうぶんな信仰をもっていれば、お金や財産を手放すことができる。
スピリチュアルな成長に必要なあらゆるものを、神はおまえにあたえるだろう。

 

ふしくれだった手をした小さな老女が、マハラジのダルシャンにやってきました。

きっと、どこか地元の農園から来たにちがいありません。

老女は、よろめきながらマハラジがいるポーチにあがると、頭で彼の足に触れてから座りました。

彼女は、とても苦労しながらサリーの端の結び目をほどくと、くしゃくしゃのルピー札を何枚か取りだし、タケットの上でマハラジに差しだしました。
誰かがマハラジにお金を渡すところを見たことがなかったので、私は少し不快になりました。

というのも、教会に住むネズミのように、この女性は見るからに貧しかったのです。

マハラジは、お金を老女へ押しもどすと、それをしまわせました。

彼女は無表情でお金を受けとると、サリーに戻しました。

 

このできごとにどんな意味があるのか、私にはまったくわかりませんでした。

ここで起きたことを理解するには、インドの文化についてあまりに無知だったのです。

しかし、マハラジは何か考え直したようすで、もう一度その老女にお金を取りださせました。

彼女は関節炎を患った手で、ふたたびサリーの端をほどき、お札をマハラジに渡しました。

一ルピー札が二枚、二ルピー札が一枚でした(四ルピーは約四十セントです)。

マハラジは、お金を受けとると、即座に私に寄こしました。

どうしたらいいのか、私にはわかりませんでした。

ここで私は「金持ちの西欧人」(インドでは貧しい西欧人でさえ、経済水準のちがいから「金持ちの西欧人」になります)で、自家用車(インドではめったにない高級車)とトラベラーズチェックをもっていました。

ですから、そのお金は受けとれませんでした。

しかし老女に返そうとすると、マハラジはそれをさえぎり、持っているようにと言ったのです。


その晩、私はその四ルピーを自分のプージャー・テーブル「インド式の祭壇」に置き、しばらく考えていましたが、どうもよくわかりません。

あとで、あるインド人から、そのお札はもっていたほうがいい、そうすればお金がほしくならないだろう、といわれました。

 

その当時、ある年配のスィク教徒の夫婦がホテルに私を訪ねてきていました。

夫婦は小さなドライフルーツ店を営み、一見してとても貧しそうでした。

しかし訪ねてくるときはいつも、ドライフルーツのお土産をもってきて、私の足もとにひざまずくと、事細かに生活の苦しさを訴えました。

スピリチュアルな意味でも、物質的な意味でも、どうして私が彼らを助けることができるなどと思ったかわかりませんが、その夫婦は私を訪ねつづけていました。
ある日、夫婦は病気が原因で、その土地を離れて平地に転居しなくてはならず、そこでは、いまよりも経済的状況がこころもとなくなると話しました。

私は何かを旅の賤別にあげたいと思いましたが、すぐには何がいいか思いつきませんでした。

でも、あとであの四ルピーのことを思いだしました。

私は一ルピー札を手にとると、自分の手に渡った経緯を説明し、これをもっていれば、何もかもうまくいくにちがいないと話しました。
夫婦はナイニタールを離れていきましたが、それから連絡はありません。

私はまだ残りの三ルピーをもっています。

そして、これまでのところ、お金に不自由することはありませんでした。

 

あるとき、マハラジは毛布の下から二ルピーを取りだすと、私の手に押し込みました。

お金をくれたときに何か言ったのですが、聞きとれませんでした。

私はそのお金を手もとに置いておかず、一ルピーはマナリのチベッタン・マンディル(寺院)に寄付し、もう一ルピーは物乞いにやってしまいました。

 

どこから手に入れるのかわかりませんでしたが、マハラジはよくお金をくれました。

あるとき大金を渡そうとしたので、理由をたずねました。

私にはじゅうぶんに稼ぎがあり、マハラジはサドゥーだったからです。

マハラジが余分なお金をくれたら、それで映画を見たり、お酒を飲みにいったりするかもしれません。

「それでもいいんですか?」と私はたずねました。
「ダメだ」

マハラジはそう言うと、お金をくれませんでした。

 

あるときマハラジは、私に五ルピー、私の姉妹に三十ルピーを渡し、とっておきなさいと言いました。

彼女はお金をとっておきましたが、私は誰かにあげてしまいました。

こういうものは貯めておかない、と私はマハラジに言いました。

 

マハラジが姿を見せなくなる直前に、百ルピー札を一枚、私にくれたことがありました。
お金はいらないと言ったのですが、マハラジはとっておきなさいと言います。
もう一度断ると、マハラジは「わかった。わしがもっている」と言いました。
どうしてそうなったのかわかりませんが、そこを出た直後にポケットを見ると、百ルピー札が一枚入っていました。

 

はじめてスワミNがダルシャンを受けたとき、マハラジは彼に一ルピー札を十枚渡すと、プラサードとしてとっておきなさいと言いました。
スワミはお金を財布に入れました。
それ以来、彼はお金に困ることがなく、財布にはいつも必要なだけのお金が入っていたそうです。

 
(出典:「愛という奇蹟」ラム・ダス編著 パワナスタ出版)

 


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