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グルジェフがいた子供時代6 他人が見るように自己を見る

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グルジェフの学校の目的は、様々な日常の作業をする中で、人間関係の摩擦やトラブルを通して、自分を見る視点を養う、ということのようです。

 

自分を客観的に見るというのは、認知科学では、メタ認知と呼ばれています。

 

他人が見るように、自分を見るということです。

 

これは、瞑想のように冷静な状態で行うの場合、それほど難しくありません。

 

しかし、人間関係のトラブルなどに巻き込まれている状態で、自分を見るというのは極めて難しいことです。

 

グルジェフは、このようなワークをするために、特別な学校を作り、様々な作業をさせていたということですね。

 

摩擦やトラブルが起こるように、意図的に導いていた部分もあるのでしょう。

 

そして、混乱した心理状態の中でも、自分を客観視するという訓練をさせていたのだと思います。

 

 

生徒たちに与えられた仕事は、どれも、学校の現実的機能にかかわっていて、造園、料理、掃除、家畜の世話、搾乳、バター製造などの仕事が、たいていグループ活動として行なわれた。

 

私が、グループ作業のほんとうの意義を知ったのは後になってからであり、異なる性格の人たちによる共同作業という状態が、主観的な人間同志の対立を生じ、その対立から摩擦が生じ、摩擦から性格的特徴が現われ、現われた特徴を観察することが「自身」を見るということであった。

 

この学校が目指した多くの目的の一つは、「他人が見るように自己を見る」ということ、いわば、遠くから自分自身を見ること、そういう自己を客観的に批判することであった。

 

だが、最初はただ「それを見る」ことであった。

身体を動かしているときは身体を観察することを目的とする訓練があり、「自己観察」または、「それに相反する私」と呼ばれる訓練であった。

「私」とは意識(潜在する)であるから、「それ」は肉体、つまり道具である。
 

最初、こうした概念や実習のどれか一つが理解できるようになるまで、私の仕事と、ある意味では私の世界は、完全に芝刈りが中心であった。

というのは、私の芝生と呼ぶようになったプリオーレ館の芝生は、予期したより、かなり決定的な意味をもつことになったのである。

 

(出典:「魁偉の残像」フリッツ・ピータース著 めるくまーる社刊)


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