ババジが直接指導しているという修行場(アシュラム)についてご紹介しています。
ここには、不老不死になった聖者がいるということです。
それはソルバ・サマーディと言われる段階で、肉体のレベルにまで神なるものの意識が融合した状態だそうです。
ヨーガの世界には、このような奥深い世界があるということですね。
そして、ババジを形容する最もふさわしい言葉は、謙虚さだそうです。
きっと本当に美しい方なのでしょう。
そういう方の教えを私たちが著書で学べるというのは、ありがたいことですね。
また、そこには「二つの体を持つ聖者」として知られるスワミ・プラナバナンダもいた。
現在この聖者は「アンマン・プラナバナンダ」(Amman Pranabananda)という名で知られており、その外見は彼自身の前世の姿に酷似しているが、今生では髪と髭を長く伸ばしているという。
この聖者についてはヨガナンダが彼の著書の中で述べている。(Yogananda, 1969, p. 22-28)
スワミ・プラナバナンダはその前世において、集まった弟子たちの目前で「マハー・サマーディ」、すなわち意識的に肉体を去って生涯を閉じた。
彼はその数年後に生まれ変わった。
そして青年になったときに、突然、自分の前世とババジとの絆について思い出した。
その後彼はこの不死身のグルを捜し求めてヒマラヤに赴いた。
そしてババジの恩寵によって、ついにババジとの再会を果たしたのである。
ババジの指導の下に、何年にもわたって集中的にクリヤー・ヨーガを実践した後に、彼は不死身になることを意味する「ソルバ・サマーディ」に至った。
現在、彼は敬愛を込めた呼び名である「ダダジ」または「アンマン・プラナバナンダ」という名で知られる。
今日の彼は、数多くの人々に霊的なインスピレーションや導きを与えている。
また彼はアシュラムの庭園の管理も受け持っている。
ババジの弟子の中で不死を意味する「ソルバ・サマーディ」の域に達したのは、アナイとこのアンマンだけである。このことはクリヤー・ヨーガの至高の目的である、神への自己の明け渡しを完全に実現したことを意味している。
自我意識の制限を乗り越えたアナイとアンマンは、彼らの助けを求めるすべての人々に援助の手を差し伸べている。アナイは彼女が行う深夜の瞑想において、クリヤー・ディヤーナ・ヨーガ(瞑想法)のイニシエーションで最初に伝授される技法を行じて、クリヤー・ヨーガを伝授された人々の潜在意識が完全に浄化されるような援助をしている。
また、第4番目の瞑想法の達人であるアンマン・プラナバナンダは、クリヤー・ヨーガを伝授された人々が、彼らの知的潜在力を最大限に生かすことができるような援助をしている。
霊体とメンタル体のレベルにおいて神性を顕現した聖者や賢人は多くいる。
しかし、生気体や肉体の細胞レベルにおいて、聖なる意識に自己を完全に明け渡すことができた者はわずかである。
生気体や肉体は、病、老化、死の影響を簡単に受けてしまう。
生気体と肉体は有限な自我や潜在意識の最後の砦である。
クリヤー・ヨーガを伝授された人々や帰依者たちすべてにとって、ババジ、アナイ、アンマンは、神への自己の明け渡しを実現する上での優れた模範を示している。
事実上、彼らは神の生ける化身である。
アシュラムの住人はヨーガのポーズ、呼吸法、瞑想法、マントラ・ヨーガ、バクティ・ヨーガなどからなるヨーガの実践を基本にした日課を忠実に守っている。
ニーラカンタンによると、アシュラムでは全員が朝の4時に起床するという。
大きな滝で行水をした後に、彼らは呼吸法に重点を置いたヨーガの行法を1時間行い、午後にはヨーガの技法の実践について、時折ババジの助言を求めながら、各自でヨーガの行法を行うという。
その愛すべき性格、暖かいユーモアのセンス、そして普遍的な慈愛の心によって、ババジはアシュラムの住人のすべてから慕われている。もしババジを形容する最もふさわしい言葉を選ぶとすれば、それは「謙虚さ」だろう。
ババジのアシュラムを訪れた他の人々の証言によると、夕方になるとそこの住人たちはババジの洞穴の前で車座になって、「ホーマ」(Homa)と呼ばれる大きな火を囲み、マントラを朗唱する。
このとき彼らが最も好んで詠ずるのは、「オーム・クリヤ一・ババジ・ナマ・アウム」である。
最初の「オーム」(OM)は外的に体験される宇宙の音を、そして最後の「アウム」(AUM)は内的に体験される宇宙の音をそれぞれ表している。
「ナマ」(Nama)は「礼拝」を意味する「ナマハー」(Namaha)に由来する。
マントラの朗唱は旋律とリズムを適宜変えて行われる。
7月初旬に行われる、「グル・プルニマ祭」(Guru Purnima celebrations)では、アシュラムの住人の全員がババジの御足に花を捧げる。
アシュラムの「母」であるアナイ・ナガラクシュミーは、皆から「聖なる母」、すなわち、「宇宙のシャクティ」の化身として深く敬われている。
その講話の中でババジは、自らを至高の実在・真理・至福であると語っている。
また彼は自らを、宇宙の非人格的なパーソナリティー、唯一にしてすべて、すべてにして唯一なる存在、不死身にして無限の存在、そして、永遠の実在(eternal Self)であるとも語っている。
ババジの聖なる人格を十分に知るためには、クリヤー・ディヤーナ・ヨーガ(瞑想法)を学ばねばならない。
クリヤー・ヨーガを伝授された者は、「地上の楽園」ともいえるガウリー・シャンカール・ピータムがヒマラヤだけにあるのではなく、ババジに帰依する者たちの心の中にもあることを理解すべきである。
人はババジのアシュラムに容易に行くことができない。
それはババジが沈黙と無名性を保ちながら活動し、何千人もの帰依者や何百万もの魂が、各自のペースで進化するのを助けることを望んでいるからである。
さながら巨大な放送局のように、ババジはその普遍的な愛と平和のメッセージを全ての人々に発信している。
(出典:「ババジと18人のシッダ」マーシャル ゴーヴィンダン著 ネオデルフィ刊)
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