マハラジは独特の方法で、瞑想と集中について教えました。
瞑想中に喜びを感じはじめると、即座に身体を揺するなどして連れ戻しました。
あるとき、なぜ私のサマーディを止めたのか、マハラジに質問したことがあります。
おまえは肉体のなかにいて、心には限界がある。
こういうものは、ゆっくりと成し遂げなくてはならない、さもないと精神が異常をきたしてしまうのだ、とマハラジは言いました。
マハラジには、個々人の肉体の受容力がわかっていたのです。
マハラジは、彼の目の前では決して瞑想をさせませんでした。
いまでも、私がマハラジに心を集中しようとすれば、最悪のいたずらをして、瞑想の邪魔をするでしょう。
しかし、だからといって、私にマハラジからの祝福がないわけではありません。
瞑想をしようとすると、マハラジはよく邪魔をしました。
たとえば、私たちが座っていて、仲間の誰かが瞑想をはじめたとします。
すると、マハラジは「瞑想の妨害者」を二人送ってよこしました。
ひとりはマハラジの運転手で、もう一人は運転手の友達の子供でした。
マハラジは二人を送り込むと、みんなを揺すって瞑想から追いだしたのです。
マハラジは座っている私たちに、「よろしい、瞑想しなさい」と言っておきながら、一分もたたないうちに冗談を言って、中止させることもありました。
また別のときには、私たちを彼の「オフィス」に呼び、歌いなさいと言いました。
歌いはじめましたが、誰も熱心に歌わなかったので、しばらくすると歌が終わってしまいました。
するとマハラジは、別の部屋から大声で「つづけなさい」と怒鳴りました。
ふたたび歌がはじまり、それが終わるともう一度「つづけなさい」と言いました。
三時間ほどたってようやく歌が盛りあがり、本当にすばらしい歌声になりました。
歌い終わったとき、みんな自然な瞑想状態になっていました。
すぐに別の部屋から「夕食を食べなさい」という声が聞こえ、全員が部屋に案内されました。
私たちは瞑想の空間に決して執着することができませんでした。
私は瞑想がとても重要だと思っていました。
それで、瞑想の真髄を伝える先生が、コーサニというヒマラヤ地方の人里離れた小さな村で夏の雨期を過ごすことを知り、三人の西欧人と一緒に、静かな夏の集中訓練をするための入念な計画をたてました。
その計画について話すと、マハラジはただ「好きなようにしなさい」と言いました。
「行きなさい。あとで連絡する」
コーサニの家はすばらしく、私たちは大喜びで生活をはじめました。
夏の瞑想計画は、着実に実現に向かっているように見えました。
トイレを掘り、交替で水をくみ、料理をつくりながら、至福にひたってヒマラヤを眺め、先生のアナーゴリカ・ムニンドラがやってくるのを待っていました。
二週目になると、何人かの西欧人が村にやってきて、下にある小さなホテルに滞在していることがわかりました。
私たちは、この家には彼らを招待しないようにしようと決めました。
ムニンドラが来たら訓練をはじめるために、その場所を確保しておきたかったのです。
しかし、西欧人はつぎつぎとコーサニヘやってきました。
彼らは山頂にあるこの家から疎外されていることを、快く思っていませんでした。
実際には、マハラジがここに彼らを派遣していたのです。
「コーサニにいるラム・ダスのところに行きなさい。あれは初心者のコースであって、ラム・ダスのコースではない」
腹が立ってきました。
マハラジは、私たちが四人だけでいたいことを知っていたはずなのに、故意に総勢二十名にもなる人を送ってきたのです。
私たちは、何かあっても当初の計画を貫き通すことを心に固く決意しました。
しかしながら、マハラジの遊戯(リーラ)の力を甘く見ていました。
二週目の金曜日に、ムニンドラから手紙が届いたのです。
「ブッダ・ガヤーでいくつかの用事をしなくてはならなくなりました。今年の夏はコーサニヘ行けそうにはありません」
これが、その計画の結末だったのです。
私たちは静かな夏の瞑想計画をいったんあきらめ、村に来ていたほかの西欧人といっしょに、谷の反対側のアシュラムに移りました。
そして、そこで実り多い情熱的な夏を過ごしたのです。
夏の終わり頃、マハラジに呼ばれてケンチに戻りました。
ダルシャンにいくと、マハラジは笑っていました。
「ラム・ダス先生、ラム・ダス先生、仏教徒の先生は来なかった!ラム・ダス先生、ラム・ダス先生」
マハラジは甲高い声で笑いながら、私のあご髭を引っぱりました。
間違いなく、夏の計画は、たまたま失敗したわけではありません。
マハラジが陰でちゃんと糸を引いていたのでした。
マハラジは私に、ひとりきりになって、あまり多くを話さないように指導しました。
さらにアージュニャー(額のチャクラ)に集中して、マハラジのことを考えるようにとも言いました。
ある夏の日、私たちはマハラジのいるところから五十マイルほど離れたコーサニにいました。
そこで、私はマハラジの写真をたくさん集めて、ひとりで部屋にこもり、五日間の断食をしました。
この修養をはじめるにあたり、『マハーバーラタ』のパーンダヴァ兄弟の物語を読みました。兄弟のなかでは、アルジュナの腕がいちばん優れていました。
伝説によれば、ほかの兄弟はアルジュナの腕を妬んで、なぜアルジュナがそんなに優れているのか、グルにたずねたそうです。
「何も特別なことはない。ただアルジュナはおまえたちよりも強く望むからだ」とグルは言いました。
これを証明するために、グルは鳥の目を弓矢で射るという課題を出しました。アルジュナは、この課題をいとも簡単にやってのけました。
あとでグルは、それぞれの兄弟に何を見たかとたずねました。
ひとりは鳥がいた木について話し、もうひとりは鳥とその色について話しました。
するとアルジュナは「私は鳥の目を見ます」と答えたのです。
アルジュナが鳥の目を見たように、私もマハラジを見たいと思いました。それには、マハラジを瞑想の焦点に据える必要がありました。
マハラジを瞑想の焦点に据えれば、同時に目や精神や心の焦点をマハラジに合わせることになるからです。
一日か二日たつと、彼の写真は意味がないように思え、すべて取りはずしました。
しかし、私はマハラジの存在を部屋のなかに感じていたのです。
四日目になると、彼が身近に感じられ、まるですぐ後ろに立っているような気がしました。
私は断食によって、感受性がとても敏感になっていました。それで、しばらくたってからマハラジがもはや私の背後からいなくなり、その存在が部屋から消えてしまったように感じたときには、ひどくうろたえました。
しかし、部屋から消えてしまったのは、分離した存在としてのマハラジでした。
というのも、瞑想をつづけているうちに、マハラジは次第に近づいてきて、ついに私の内側に消えてしまったのです。
私はひとりでした。
孤独感ではなく、ただひとりきりでいるという感じがしたのです。
力や明晰さ、満ちたりた感覚と同時に、音が鳴っていても内側には静けさを感じていました。
人類最後のひとりになったような感覚と少し似ているかもしれません。
部屋から出て、ふたたび人といっしょに過ごすようになると、そのような感覚はゆっくりと消えていきました。
しかし、いまではマハラジと一体化していくこの道のなかに、私の自由があることがわかっています。
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